【自己紹介】発達障害×精神病×生活保護ー社会の底辺からこんにちはー

人生
生保太郎

下町育ちの生活保護受給者。発達障害で孤立。統合失調症で放火。
生活保護を受けてようやく人生が安定。しかし危機感を覚え生活保護脱却のためにブログとYoutubeを始める。

※一部ショッキングな内容があります。ご了承ください

これからブログ・Youtubeを始めるにあたって、まずはどんな人かを知ってもらいたいので自己紹介をしたいと思います。特定を避けるためにぼかす部分はありますが、正直に申告をします。自己紹介を含めて人生のことを書いていきます。言い訳多かったり、必然的に嫌な思い出が多く読んでられないかもしれないですがお時間ある方はぜひ最後までお読みください

人生まとめ(忙しい人用)

  • 発達障害・統合失調症
  • 学校・家庭でも理解得られず孤立
  • 自分の家と家族への執着が人生を狂わせた
  • 大学中退2回
  • 自殺未遂2回
    →富士の樹海にナイフを持っていく
    →自宅に放火する
  • キチガイ病院に強制入院
  • 生活保護受給中

名前

名前は生保太郎(せいほたろう)といいます。いい名前がまったく思いつかなくて、市役所で書類を書く時などに目につくこの名前をパクりました。タイトルもそのまんまで「生保太郎の日常」にしました。

ほんとうにそのまんま。いいタイトルが思いつけば変える可能性はあります。

育ち

東京都の下町生まれ。200X年3月学歴もお金もない家庭から生まれました。築何十年という屋根裏ではねずみが走る祖母の家を間借りしてはや20年生きてきました。はやくも寄生生活をしていたのです。過去にストレスが多かったのか、実はほとんどの記憶は封印されていてまったく残っていません。

では書いていきます。幼いころから発達障害があり、親が言ってることや周りがなにを言っているのか理解がまったくできず落ち着きがなかった。そのうえ、生まれながらにして歯が通常より5.6本ないため滑舌が悪く、音読では同じ行で何回もつっかえたり、家族ですら何と言っているかわからないといった始末でした。

小学生に入ったらチック症が出始め、クンクンと鼻を鳴らしたり、ウッウッとのどを鳴らしたり、「あっあっ」と言ったり、それはそれは実に15種類は越えようと多彩なチック(重度の癖)があり、親からも「障害者」とか「病院に連れていく」などいわれ幼少期を育ちました。しかし、実際に連れていかれたのは小児科で、何一つ対策を得られないまま成長していきました。

中学年高学年と成長し知能がつき始めてからは、今まで嫌だったことや、やめてほしいことをいうと反抗とみなされ「嫌なら出てけ」と何回も言われることもありました。
そして中学生・高校生のころはなにか提案されたときに断ると「意地になってる」と言われたり、「反抗期がまだ続いてる」などを言われ続け、自分の意思がどんどん弱くなっていったのを感じました。

中学生時代は最悪で、発達障害特有の落ち着きのなさをなまけととらえた親は地域で一番厳しいといわれる学校に進学させました。誤って眉を整えたら怒鳴られ、休み時間中に話せばどなられ、家でも学校でも怒鳴られる僕はコミュニケーションがさらに苦手になっていきました。

高校生になって、部活に積極的に参加して初めて仲の良い友達ができたのですが、文化部であったこともあり、女子が多く必然的に女友達しかいなかったことをいじられるのが嫌だったり「障害者の自分はかかわらないほうがよい」という思いで自分から一人になることを選びました。

そしていつしか受験シーズンが来ました。僕は心が疲れていることを実感したため親に「1年でいいから休ませてほしい」と伝えましたが、返ってきた言葉はNOでした。

暗黒期

「将来のためになるから行っておけ」「行かせてもらうことは幸せなこと」と言われ、さらには浪人は許さないと言われ、僕は富士の樹海を目指しました。死ぬために。
約1時間をかけ新宿駅にいき、バスを乗り継ぎ2時間かけて河口湖駅に行き、そこから歩いて目指したのですが、足は重くなるばかりで、歩いても歩いてもたどり着くことはありませんでした。
次第にこうなったのは親のせいだという恨みの気持ちが次第に強くなり、どうせなら迷惑をかけてやろうと自殺するのをあきらめ、親を呼んで迎えに来てもらいました。
自殺未遂から帰宅後、すぐに説得されました。

やはり大学には行きなさい

とやはりいわれ過去に「追い出すぞ」と言われた僕は従うほかありませんでした。
そこは名前を書けば誰でもはいれるいわゆるFラン大学というもので、高校受験ではまったく勉強しないでも合格できたことをプライドにしていた僕にとってそれは大変な苦痛でした。
最初こそは積極的に授業に出たり、交流していた僕もやはり孤立していきました。

Fラン大学に通うこと、最初から大学に行きたくなかったため親に土下座をして自主退学をました。大学中退のはじまりです。

中退できたことに喜んでいた僕ですが、親はそれでも「大学に行きなさい」と言いました。
理解のない親に絶望し、どうせ親の金だからいいだろうという嫌になったら死ねばいいと投げやりな気持ちになり、うなずきました。

親の進めるままに決めた新しい大学は介護系の大学で、障害者と老人が嫌いな僕は、わざわざ嫌いな存在のために貴重な4年間勉強しなければならないのかという怒りがわいてきて授業をさぼるようになり、結果的に進学の単位が足りなくなり中退しました。2回目の中退です。

それからの1年間は幸せでした。大学中退2回という実績を解除した僕を見て、親は一種のあきらめをつけたようで大学にいけと言わなくなりました。
過去に障害者と言われたこと、自分の思いをきかずに大学に行かせたことを恨み一生面倒をかけようと怠惰に生きることを決心しました。

しかし、月日は残酷なものでいつかは危機感が襲います。高齢出産をした両親はもう60代、一生面倒を見てもらえるというのは現実的ではありません。

ついに短期の派遣を始めることになりました。

発達障害というのは残酷なもので、最初のころは説明されたものが頭に残っているため円滑に仕事できても時間がたったらすべて忘れ、同じことを何回も聞きに行ったり、細かいミスを何個もすることで、最初は優しかった上司もあきれたような顔をするようになりました。

自分の能力が低いこと、大学を2回中退していること、親から障害者と言われたことが頭の中をぐるぐるかけめぐり人生を悲観するようになりました。

放火

気づいたら僕の日常に幻覚と幻聴がつきまとうようになりました。
見知らぬいかにもな不良たちが毎日「殺すぞ」「さらうぞ」と言ってくるのです。
一日に何十回も。
たとえばカフェで、居酒屋で、路上で・・・
自宅にいるのに、実際にはこの場にいないのにいろんなシチュエーションで強制的に映像を見せられ、眠れない日々を過ごしました。

次第に幻聴はひどくなり「家を燃やせ」「親に復讐しろ」という声が頭の中で鳴り響くようになり

ついに放火をしました。

入院

自宅に放火をした僕は警察に保護され、キチガイ病院に強制入院することになりました。そこでの6か月間は非常に退屈で、気持ち悪く、不愉快な期間でした。

常に怒鳴っているキチガイ、常に歌っているキチガイ、急に奇声を上げるキチガイ。

キチガイ病院らしく見渡す限りよりどりみどりなキチガイがおり、ストレスしかありませんでした。空間や時間を共有するほど同じ生き物になってしまう気がして、それがさらにストレスに拍車をかけました。

寄生生活のスタート

退院後、親と一緒に一番に向かった場所は市役所でした。大学を2回中退したこと、自殺未遂をしたこと、家族にも僕にも貯金がないことをケースワーカーさんに申告をし、生活保護の申請を申請をしました。水際作戦を知っていた僕は身構えていましたが、最初は良い顔をしていなかった職員さんもこれまでのことを聞いて寄り添ってくださり手ごたえを感じました。

2週間の審査はありましたが、結果あっけないもので受給が決定しました。
20代の保護受給率は約2%。思いがけずエリートになってしまいました。

自由と束縛~現在に至る~

現在、生活保護受給してはや6か月が経とうとしています。
家賃5万円とは思えないキレイな家、閑静な住宅街、駅から10分もしない、なにより僕以外キチガイがいない。文句のつけようのない利用の空間で、それはそれは快適な半年でした。
人生ではじめて心から安心してリラックスできる期間であったと自信を持って言えます。

怠惰に、そして快適に暮らしていた僕の心の中にある感情が募るようになりました。

罪悪感でした。

もう24歳、若者とは言えません。
下手すれば6年若い18歳で社会に出て、働く方もいます。
目が見えない・耳が聞こえない・手足が不自由なのに働く方もいます。

ただただ社会に迷惑をかけながら生きてい行くことに恥ずかしさを覚えるようになったのです。
「じゃあ働けよ。」と思う方、わかります。

ただ、僕には

  • 学歴がありません。
  • 経験がありません。
  • 資格ありません。
  • 自動車免許もありません。
  • コミュニケーション能力がありません。
  • 人の助けになりたいという気持ちがありません。

あるのは発達障害・統合失調症という特性と、大学中退と自殺未遂と放火の経験だけです。
あなただったら雇いますか?一緒に仕事したいですか?仕事を任せられますか?

僕が一番恐れていることは、いままでのことが職場などで日常的にかかわる人にバレることです。
僕の経歴を調べられるんじゃないか、調べたらすぐにわかってしまうのじゃないか、それが不安で仕方ありません。

それが僕がブログ・Youtubeを選んだのはそれが主な理由です。
(トーマスガジェマガさんという方のスタイルをパクりました。)
人に合わせないでよい、人と関わらないでよい。そういったスタイルで仕事するのが理想です。

これから

長々とこれまでの話をしてきました。

次はこれからの話です。これからはYoutubeやブログを週1~2本投稿していきます。
目標は大きく持って月収100万円を目指して地道にブログの更新・動画投稿をしていきますので、お時間のあるかたは今後ともよろしくお願いいたします。

↓登録者1000人目指してます。チャンネル登録お願いします。

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